坂道のある街、金沢(6)
坂道のある街、金沢
「ダブル坂」
旧制四高生が名付けたといわれるこの坂は桜橋から寺町台へ上がる近道である。現在は近くに自動車道があるので近隣の人を中心に利用されている。坂を上った右手に小さな公園がある、ここからの市街地の眺めもなかなかである。ダブル坂というのは後々に名付けられた名称で、石伐り坂が正解である。坂の上は藩政時代には石工の職人町だったという。
「朝食をすませてから、洪作は散歩に出た。昨日登ったW坂まで行き、そこから犀川と金沢の町を眺めた。犀川の流れは美しかった。白い磧を抱くようにして、大きく身をくねらせながら、一本の長い青い帯が置かれている・・・・犀川の向うに、黒い屋根瓦の町が拡がっている。半ば樹木に埋まっているような緑の多い町である。そしてその町の向うに丘陵が見えている。この方は全く緑に覆われた丘である。(井上靖「北の海」)
「桜坂」
上の石伐り坂を右に見ながら真っ直ぐ上に伸びているのが桜坂である。金沢城からの眺めよくするために桜が植えられたといわれるが、これが事実とすれば当時の藩士は余程、目が良かったのかなと思ったりする。この坂は上がり口で右へカーブしているが、そこで車を路肩に寄せて市街を眺めると爽やかな風が心を癒してくれる。
「新桜坂」
桜橋を渡って左に進むと桜坂である、右にカーブしながら自動車道路を進んで行くとこれが新桜坂である。都市計画道路で狭いが金沢では幹線道路である。観光バスも道幅一杯を占有して下りてくるのに時々でくわす。西部地区から金沢入りした車の兼六園への近道である。桜橋は多くの文学作品に登場してくるのでよく知れれた橋である。島田清次郎の「地上」や室生犀星の「性に目覚める頃」の舞台になった犀川は写真下の所を日本海に向かって流れている。
「暗がり坂」
尾張町から主計町へ抜ける近道である。昔、遊郭のあった頃、旧下新町にある久保市神社へお参りするするふりをして、境内を通り抜けて一気にこの坂を下れば、全くの別世界である紅灯の巷へたどりつくことができた。暗がり坂ともよばれる。
久保市乙剣宮の境内から暗がり坂へ通じるが、この神社の斜め向かいには泉鏡花の生家があり記念館として入場できるようになっている。
「あそびなかまの暮ごとに集ひしは、筋むかひなる懸社乙剣の宮の境内なる御影石の鳥居のなかなり。いと広くて地を綺麗に掃いたり。榊五六本、秋は木犀の薫みてり。百日紅あり、花桐あり、また常盤木あり。」(照葉狂言)
泉鏡花は明治23年、18歳のときに尾崎紅葉を頼って上京し大成した。
「長良坂」
下菊橋から寺町一丁目へ伸びている坂である。左隣には金沢を代表する料亭「金茶楼」がある。旧の長良町へ上がる坂だったのでこの名が付いたという。
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