坂道のある街、金沢(3)
坂道のある街、金沢
「帰厚坂 (きこうざか) 」
天神橋を渡ったすぐの卯辰山の登り口にある。標柱には加賀藩主前田慶寧公が慶応三年卯辰山を開発したときの坂で「藩主の厚き徳に帰する」という意味から名付けられたという。
この文言を見たときに、おかしいなと私は思った。新たになされた事業は損得で考えると理解しすい。この坂は軍事目的ではないのか。当時架かっていた浅野川大橋を渡り、すぐの道を右折すると観音道である。この道は金沢には珍しくまっすぐに卯辰山の麓まで伸びている。山すそを迂回しながら進むと帰厚坂に辿り着く。帰厚坂もまっすぐに上手に伸びている。
この坂を一気に駆け上ると卯辰山寺院群の裏手の山に到着する。寺院は将兵の陣地になり得るし、後方に重火器陣地を構築すれば立派な陣備えができる、と考えたに違いない。さすれば、北部方面から金沢城を目指して進軍して来る敵を木っ端微塵に粉砕できる。
幸いにして加賀藩では戦闘が開かれることはなく、この坂も藩主の徳に帰する坂となった。
「甚右衛門坂」
前田利家が金沢城に入城する以前は、この城は尾山御坊といって一向宗徒の拠点だった。
この百姓の持ちたる国を攻め立てたのは同じ信長配下の佐久間盛政だった。天正8年 (1580年) この坂の上を守っていたのは真宗本願寺派の平野甚右衛門である。甚右衛門はこの坂で壮絶な討ち死に遂げた。利家が入城してからこの坂をどう呼び鳴らしたかはともかく、庶民はいつしかこの坂を甚右衛門坂と呼ぶようになった。
「宮守 (いもり) 坂」
旧石川県庁舎を通り抜けてしばらく歩くとこの坂に辿り着く。金沢城は山の先端部に築かれた城だから、中に入るにはいずれも坂を登らねばならない。
この坂は城の外にあった井守 (いもり) 堀をまたぐような形で通じる坂で、旧金沢城へ入る坂道では最も長い坂である。幕末の金沢城絵図を見るとこの坂の存在は不確かで、いもり堀には橋は架かっておらず、金谷御殿
(尾山神社)の一部がつながっているのみで、このあたりの城内への入り口は玉泉院丸門のみである。旧軍時代に作ったものか。
「蛤坂 (はまぐりざか) 」
享保18年 (1733年) 金沢で大火があり、このあたり一帯はすべて焼き尽くされ、あたかも蛤が口を空けたような状態になったため人々はこの坂を蛤坂と呼ぶようになった。この写真は室生犀星の雨宝院近くの犀川大橋詰めの交番横から上手撮影した写真である。
この橋の袂で芭蕉は金沢の俳人と別れた、
俳人芭蕉が金沢に立ち寄ったのは元禄2年(1689年)。芭蕉は弟子曾良をともなって奥州路を経て、 北陸路に入り、旧暦7月15日(現在の暦では8月末)越中から倶利伽
羅峠を越え金沢へやってきた。すでに秋風が立ち始める夏の終わり の頃でした。金沢では俳人の仲間である「一笑」を訪ねるのが目的であ ったといわれています。しかし、一笑は既に前年に亡くなっており悲しみ
のなかで墓参りでした。 23日には宮竹屋に立ち寄り客となった。宮竹屋は薬種商で当代は 伊右衛門といい俳号を小春(しょうしゅん)と称していた。
伊右衛門は感激し最大級のもてなしで応じた。 「寝るまでの名残りなりけり秋のかや」(小春) 芭蕉は当時、既に著名な人であり小春の喜びは例えようのないものでし
た。この家を出立に際し、小春に対する言葉は温かく、かつ厳しいもの でした。宮竹屋は当時、既に大店として片町に居を構え幅広く商いをし 金沢市民に知られていた。芭蕉は小春に富めるものの生活が、とも
すれば俳の精神と離反することをさとしたといわれている。 芭蕉は宮竹屋の近くの犀川に立ち寄り、西の空を仰いで 「あかあかと日はつれなくも秋の風」(芭蕉)という句を詠んでいる。
芭蕉はこれから先、さらに漂白の旅を続けていく。 宮竹屋薬舗は現在すでにないが、伊右衛門が最大級のもてなしを したであろう客間である茶室は「小春庵」(こはるあん)として金沢の
料亭「つば甚」に移築されている。私はかってここでお茶をいただい たことがあるが、寂寥の感を深くしたのを覚えている。
「紺屋坂 (こんやざか) 」
兼六園下から兼六園の入り口に登る坂である。片側には土産物店が並び全国どこにでも見かける風景である。
この坂のいわれは加賀藩初期にこの坂の付近に染物商、舘紺屋孫一郎が住んでいたことによる。今は金沢城公園入り口の石川門にも通じる。
「子来坂 (こらいざか) 」
ひがし茶屋街の奥にある宇多須神社横の坂である。標柱が立っていて子供たちが来て賑やかになるように願って子来坂という名付けたと書かれているが、二、三度訪れたが子供達には一人も会わなかった。右手を行くと金沢を代表する料亭「山乃尾」がある。
「卯辰山緑地横の坂」
鬱蒼とした木陰に覆われたこの坂は卯辰山緑地から宇多須神社を左に見て降りる坂である。夏の日の強い日差しをさえぎる木々の間から爽やかな風が通りすぎて行く。最も金沢らしいところの一つだろう。
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