坂道のある街、金沢(4)
坂道のある街、金沢
「観音道」
市中心部から浅野川大橋を渡って二番目の少路を右折すると観音道である。真っ直ぐに卯辰山の麓まで伸びている。藩政時代は観音院へ通じる道として歴代の藩主奥方も参詣されたであろう通い道である。
後には軍用道路としての利用も検討されたと思われる
「観音坂」
観音院に通じる南側の坂道で坂というよりは階段である。階段まで拡大してゆくと金沢の坂道は何百あるか数知れない気もする。藩政時代は切り開いた舗装もされていない山道で、観音院の門前にある坂道でこの名が付いたものと思われる。観音院は高野山真言宗である、本尊は行基作の十一面観音ろいわれ、三代藩主前田利常夫人が元和二年
(1616年) 当地に御堂を建築寄進され、安産の観音として信仰を集めた。加賀藩歴代の藩主の庇護をうけ、寄進された能舞台で神事能も行われたという。
「観音院北側の坂」
観音院の北側にできた坂道で、これも観音坂だと地元では言っている。この坂からも若者が降りてきた。坂下には自転車が置いてあってこれから先の平地は自転車を利用するのか。真の観音坂は写真の下の右手の道をしばらく行くと辿りつくことができる。
「甕 (瓶) 割り坂」
金沢を代表する歓楽街片町に隣接する犀川大橋を渡るとこの坂にたどり着く。野町広小路交差点まで続くこの坂は、かって橋爪の古坂といわれ、野町神明宮の前にあることから神明坂とも呼ばれた。
古書によると源義経が奥州へ下る時に北の方を同道ありけるに、路中において出産(胞衣) 「胎盤をくるんだ胞と胎盤」を入れた瓶をこの坂の途中で取り落とし瓶を割ってしまったので瓶を割った坂というのでこの名がついたという。
何故、胎盤を水瓶に入れて運んでいたのか、免疫力をつけるのに食べるためかそれとも疲労回復の目的か。胎盤は今も医薬品として売られている。
「石坂」
白菊町交差点から野町広小路までの坂である。日本国中に鳴り響いている歓楽地「石坂」があるので、この坂の名が石坂かと思ったら、地元ではこの坂の麓は石伐り場のあったところで石坂角場というのはその由縁でつけられた町名だという。かってはその伐りだした石で作った坂だから石坂と名付けられたのだそうだ。元はかなりの急坂だった。
「賢坂辻」
この坂は金沢城石川門を出て紺屋坂を下り右にゆるくカーブしながら歩いてゆくとすぐに辿り着く、かっては名の通り行き止まりで左右に道が分かれる辻であった。辻は戦略上は要衝である。荒木又衛門「鍵屋ノ辻」でよく知られている。
現在は小将町と横山町に接している。このあたりは前田家八家老の一人横山氏の城下町であった。陪臣であるが三万石である。四十七士の浅野家が三万五千石だからやはり大名並みである。横山氏は男爵として明治になってからも実業界で活躍した。
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