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「金沢の漢方薬、生薬専門店」バックナンバー
中屋彦十郎薬舗による「尾山のくすり大将」第49号 2003年3月17日
江戸時代の薬(越後の毒消し丸)漢方薬膳料理(棗の蒸しご飯)
江戸時代の薬(越後の毒消し丸)
「毒消しゃいらんかねえ」と戸ごとに売り歩いた娘たちの記憶が今も残っている人たちは多いことだろう。
女だけの行商売りで知られるこの薬は新潟県西蒲原郡の中心巻町から少し離れたところに生産地がある。
巻町からさらに峠を越えて、日本海と山肌に挟まれるようにして集落が連なっている。
角海浜、角田浜、五箇浜、越前浜が毒消し丸の故郷である。
慶長年間に始まったとされる製造が本格的になったのは明治になってからのことである。
隣の県の越中売薬が江戸時代から本格的だったのと比べると対照的である。
やはり藩全体としては、富山ほど外貨を稼ぐ必要はなかったのかもしれない。
最盛期の大正時代には製造所も二十四軒になり、売り子は千二百六十二人にも達したという。
毒消し丸の処方はかっては白扁豆(隠元豆)、硫黄、菊名石、天花粉、甘草、澱粉である。
黄色い丸薬で解毒、食あたりにいいという。
硫黄を内服するというのは珍しい製剤である。
硫黄は今でもにきびには外用するし、ムトウハップなど入浴剤としても使われている。
かっては大きな荷物を背負って三国峠を越えて行商に出かけた。
手甲脚絆に草履ばき、袷にちゃんちゃんこというのが娘たちのユニフォームだったという。
夜明け前に出発するので、先頭は高張り提灯をおしたてた。
波かしらがゆれるように、幾十の爪折笠がその灯に照らされたという。
峠を越え見送りの人たちの人影が消えると、たまりかねたように娘たちの口から、哀調を帯びた角田甚句が漏れ歌われるのだった。
生活のためとはいえ、年端も行かぬ娘たちが行商に出かねばならなかったその土地の生産性に思いを致す時、涙とともに身の引き締まる思いがするのでした。
誰か演歌の題材に取り上げたらどうだろうか。
そんな思いのする薬でした。
漢方薬膳料理(棗の蒸しご飯)
花粉症に
一.棗を水につけ戻しておく。
二.棗を三十分間ほど煮込んでおく。
三.もち米を用意し、蒸し器でむす。
四.蒸しあがったら棗を上にのせる。
五.塩を振って食べる。
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