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中屋彦十郎薬舗による「尾山のくすり大将」第39号 2003年1月6日
加賀藩の秘薬(五)
加賀藩の秘薬(五)
天明四年(1784年)また加賀藩内に疫病が流行した。
当時の藩主は11代治脩(はるなが)である。治脩はあの五代綱紀の孫である。治脩公は「庶物類纂」や各種の本草書を調べた。
その中で松葉に注目した。松葉は藩内のどこにでも生えている松の木の葉である。これなら誰でも、どこでも手に入る。
そこでこの松葉によって治療するように御布れを出した。
疫病の薬
一.松葉を細かに切り、酒にて一匙程宛一日に三度のみてよし。
一・小豆を布の袋に入れ、井のなかに三日置き、男は十粒、女は三十粒のみてよし。
昔から年明けの七日間は松の内といって門松を立て、仕事を休んで正月気分にひたった。
松の花言葉は「不老長寿」である。いつまでも変わらぬ緑である、しかも松は樹齢が長い。
松はマツ科を代表する常緑の高木で、世界で100種近くもあるという。
我が国ではアカマツとクロマツを総称する場合が多い。
一般にアカマツは内陸的で山地性、クロマツは海岸に多くて低地性である。
今でも、松葉のエキスは血液をサラサラにするというので飲んでいる人がいたり、免疫力をたかめるというのでガンの予防や流行り病にかかりやすい人は愛用しています。
漢方の古典にはのっていない、いわば民間薬といえるでしょう。
小豆(あずき)はマメ科の一年生草本、やせた土地でも耐えて、跡地を耕すから輪作に組み入れられ、山間地や開拓地に好んで植えられた。
小豆の赤いいろの中に呪力を認め、生命力を願うといわれている。
小豆は漢方の古典「本草綱目」にも記載され赤小豆と呼び、消炎、利尿、緩下剤として広く利用されています。
特に脚気の浮腫みにはよく利用されました。
鯉と一緒に小豆を食べると、水の利をよくし浮腫をとるといわれています。
疫病といわれるものにはどんな病気があったのでしょうか。
流感(風邪だと思っていたら多くの人が死んだ)、食傷(食中毒です、鮮度の悪い物を食べたばかりに菌が繁殖していた場合)、虎列刺(三日コロリともいう、コレラである)、窒扶斯
(チフス)、麻疹(発熱、発疹がつづいて肺炎を併発して死ぬ)、労咳(肺病)、疱瘡(天然痘)、痢病(飢饉のときに発生する、赤痢であろうか)、瘡毒(梅毒のことである)、淋病など代表的なものだけでもこれだけあります。
人々は何かわけがわからず恐れおののいたことでしょう。また、差別、中傷といったことも日常茶飯事だったことでしょう。
これらの病については後日さらに詳しく掘り下げていこうと思います。さて、松葉であるが疫病に対し効果があったかどうか全く不明です。
御布れは出されているが治療の効果にたいしてはどうだっのか。多分なかったであろうことは想像できる。
10代藩主重教は膈(かく)の病で死亡したという記述がある。
膈の病とはガンである。
当時からガンはそれなりに区別されて認識されていたようである。
ともかく免疫力をたかめて病気に打ち勝つという考え方は間違っていなかったように思います。
ただ、すでに発生してしまった病気に対する療法としては極めて微弱だったといわざるを得ません。
この時代ヨーローパでは熱病にはキニーネが盛んに用いられ多くの人達を救っていたことを考えると、科学の世界では情報の伝達の重要性は論をまたないところです。
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