中屋彦十郎がお届けする、金沢、生薬漢方薬についてのメールマガジン
「金沢の漢方薬、生薬専門店」バックナンバー
中屋彦十郎薬舗による「尾山のくすり大将」第236号 2006年11月13日
坂と用水のある街、金沢「鞍月用水(くらつきようすい)」、江戸時代の薬「薬種商」
--------------------------------------------------------------------------------
坂と用水のある街、金沢「鞍月用水(くらつきようすい)」
「鞍月用水(くらつきようすい)」
里見町町内を流れた用水は教会の横を通りすぎ、九十度曲がり宇都宮書店の前で辰巳用水の分流と合流して、 柿ノ木畠の道路際を流れてゆく。
香林坊の横断歩道に平行するように流れは暗渠になり国道を横切る。
再び顔をみせるのは柳がゆれる香林坊下商店街の前である。
江戸時代の薬「薬種商」
江戸時代には薬種商の店頭で今のシャンプーやリンスを売るように、雑多に並べて売られていた。
もちろん、高価なものや漢方医からの処方箋で売る薬種は百味箪笥の中に保管されていた。
当時は座敷販売だからお客は座敷に上がって自由に商品である薬種は選択できなかった。
お客は上がりかまちに腰掛けて番頭や手代に、例えば「黄連」をくれとか、「どくだみ」がほしいとかいうと、店の者はそれを手にとって「これでよろしいですか」と
お客の目の前に差し出す。
客はそれを見て100匁くれとかいうと、手代はそれを秤で量って○○さんはドクダミを 100匁ですと結界(けっかい)の内側にいる番頭にいう。
番頭はそれを記帳して、計算のうえいくらいくらですとお客にいい、代金を受け取った手代はそれを番頭に 渡すといった図式である。
あらかじめ袋に入れて薬種名を書いて並べて置くなだというのはかなり最近になってからと推測される。
また、お客と店を隔てる位置にカウウター(座卓)を置いて話し込むなどというのは昭和に入ってからのことだろう。
店の主人はお客の接待はしない、たいがいは一番奥の結界に囲まれた机の前に座り趣味の本を読んでいたことが多かったようである。
今思うとこれは正解だったように思う。
(発行者)中屋彦十郎薬舗(株) 中屋彦十郎 石川県金沢市片町1丁目1−29
掲載された記事を無断で転載することは禁じます。
©2001 - 中屋彦十郎薬舗株式会社 All rights Reserved.
プライバシー保護方針 特定商取引法に基づく表記
本社・薬局/通信販売
〒920−0981 石川県金沢市片町1丁目1-29 TEL 076-231-1301/FAX 076-231-1306
工場
〒921−8117 石川県金沢市緑が丘21-9 TEL 076-245-3366
|